震災 −連載します−

2011年3月11日、おそらく日本人には長く記憶される日となるに違いない。そして14時46分という時刻も。
その日、私は午前中に仕上げなければならない仕事が終わらず、昼休み返上で作業した。やっと仕事を終えて、結果をメールで社内へ配信し終わったときは、14時をかなり過ぎていた。昼休みに食事も取れなかったので、弁当を食べ始めたのが14時30分くらい。
食後、さて次の仕事を、と思ったとき揺れが来た。実は茨城は地震が多い土地である。震度3くらいの地震なら、茨城県人はちっとも驚かない。ああ、また地震か、最初はそんな気分だった。
ところが、思いの外揺れが大きい。そして、なかなか静まらない。逆に揺れは大きくなって行くようだ。部屋が揺れと共に轟音を放つようになって、ついに私は、机の下へ批難した。訓練以外では始めての経験だ。しかし、それでもまだすぐに収まるだろうと、まだ高をくくっていた。
机の下にもぐって2分、3分。一向に揺れは止まない。ここで始めて焦りが来た。揺れはますます大きくなる。一瞬がひどく長く感じられる。建物全部が身を揺すって悲鳴を上げている。これは崩れるか、と思った時、自分はここで死ぬのかな、という気持ちが来た。なんだか妙に冷めた気持ちで「死」を思った。
気づくと揺れは止んでいた。机の下から這い出すと、部屋の中はぐちゃぐちゃで、周りにいる人間は、すぐそばの数人。一階だったので、他の人間は、非常口から外に脱出済みであった。
周りに声をかけた。「今のうちにすぐ外に出ろ、また来るぞ!」